538年、梁から来た青岩という僧が、会津坂下町に高寺を開いたという。梁とはどういう国だったのか調べてみた。
国土は、今の中国の、四分の一ぐらいだろうか。結構大きい。その頃は、梁と東魏、西魏の三つに分かれていたようだ。
この国は風俗が乱れてわずか50年で滅亡したようだ。
ウィキペディアの梁の項目で注目すべきは宗教について。
武帝は異常なほど仏教に傾倒し、後世からはこのために梁の亡国を招いたとして非難される一因となっているらしい。
中国皇帝は国家儀礼は儒教に基づいて行なうのが当然なのだが武帝は仏教に基づいて行なうなど、熱狂的に仏教に傾倒していたようだ。
さすがにネットではこれ以上の情報は見つからないが、仏教というキーワードが出てきた。
参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%81_(%E5%8D%97%E6%9C%9D)
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