2014年2月1日土曜日

出雲神社 安倍晴明が会津に来ていた説

会津出身の私が会津を馬鹿にしている訳ではないけど、さすがに本当かなと思ってしまうのは、教育のせいだろうか。

会津の出雲神社は喜多方市にある。社伝によると、天慶年間(938~947) に平将門の残党が逃れて来て住みついた。正暦年間(990~995)、陰陽師/安倍清明がこの地にやって来て、出雲の神を総鎮守に「国土開墾の神」として祀り、総社神社を創建したという。

いろいろ調べると、会津は平家側についたようだから、そういう関係なんだろうか。平家とか、その辺の歴史は全然知らないけど、平将門の娘が会津に逃れてきていたと、さっき、どこかのサイトで見た気がする。けど、忘れた。この記事を書く間に出てくるだろうか。

安倍晴明は平安時代の陰陽師で、921年から1005年の間を生きた人のようだ。

時代は違っても、中国の高僧の青岩が、540年に数千の僧を有する寺だった高寺(後の恵隆寺)を開いたり、知道が7世紀に飯豊山神社を開いていて、さらに高僧である徳一と空海が同じ807年に、それぞれ勝常寺や示現寺(五峰山慈眼寺)を開いたりしていたとすれば、安倍晴明にとっても会津は興味深い土地だったのかもしれない。

平家の事を調べていたら、恵日寺が出てきた。磐梯町にある。かつては慧日寺(えにちじ)と呼ばれたらしい。徳一が807年に開いたらしい。東北地方では開基の明らかな寺院としては最古のものとして知られているそうだ。

徳一は、湯川村に勝常寺を807年に開いたとされるし、空海は、熱塩加納村に現在の示現寺を五峰山慈眼寺として、同じ807年に建立したとされている。

徳一大師は783年から会津に居住していたららしい。お墓が恵日寺(慧日寺)にあるようだ。徳一大師は最澄や空海という有名なお坊さんと論争をした人のようだ。

その慧日寺が平家についたようだ。平安時代末期には僧兵数千人を動員する勢力があったらしい。高寺(後の恵隆寺)を調べたときも、会津には数千の僧がいたということで、会津は相当お坊さんにゆかりがあるらしい。日本で5番目にお寺の多い地域だということだから、そういうことなんだろう。

慧日寺と平将門の記述をやっと見つけた。将門自身も慧日寺に帰依していたと伝えられ、乱で討ち死にした後は、娘/滝夜叉姫が身を寄せたらしい。平将門の死没は940年。
http://www.aizue.net/sityouson/bandaimati.html

それで安倍晴明はなんで会津に来たのだろうか。と調べたら、興味深いブログを見つけた。結界を張りにきた説。
http://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/b29062e6ff4beeafe6e8c031c1856cb2

ちなみに、美里町出身で徳川家康の懐刀として江戸の都市造りにあらゆる手を打った天海大僧正は、江戸の守護神として平将門の部位を要衝に配置したとのこと。江戸幕府が出来たのは1603年。
http://www.aizue.net/todoufuken/toukyou-goen-ti.html#masakado

参考
http://www.aizue.net/index.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%B4%E6%98%8E
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E6%97%A5%E5%AF%BA_(%E7%A3%90%E6%A2%AF%E7%94%BA)
http://www.aizue.net/index.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E4%B8%80
http://www1.town.bandai.fukushima.jp/kanko/enichiji/index.htm?sess=fc272eec9018e1c749b36ed75929a1fc
http://www1.town.bandai.fukushima.jp/kanko/enichiji/enichiji_0206070809.htm
http://www.aizue.net/sityouson/bandaimati.html

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