2014年2月2日日曜日

蚕養国神社

弘仁2(811)年に草創された日本で唯一の養蚕に関する神社。会津若松市にある。

このころの会津と言えば、807年に徳一大師によって、美里町の慧日寺や湯川村の勝常寺、空海によって五峰山慈眼寺(後に示現寺)など、高僧によってお寺が沢山たてられた時期だ。

しかも、慧日寺は最盛期には、寺僧300、僧兵6,000、子院3,800を数え、18万石が与えられていわれるし、勝常寺は大本山クラスの大寺院である七堂伽藍が備わり、盛時には多くの附属建物が建ち並んで十二の坊舎と百余カ寺の子院を有する一大寺院であったとされる。

示現寺は永和元年(1375年)、源翁心昭が護法山示現寺として再興し、奥州一帯に教えを広め三十七ケ寺の末寺を有する名刹として確固たる地位を確立したらしい。

そんな大きなお寺が沢山たてられていた同時期に、神社も作られていた。

延喜式神名帳とは、延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」に指定されていた全国の神社一覧のこと。この延喜式神名帳に蚕養国神社は陸奥一百座の一つとして記載されているらしい。

祭神は、保食大神(うけもちのおおかみ)、稚産霊大神(わくむすびのおおかみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)。


弘仁2(811)年は第五十二代嵯峨天皇の時代とのこと。

第五十四代仁明天皇承和年中に、 官社に列せられ、醍醐天皇の御代延喜式選定の折、式内の社となった。

仏教の影響が会津を支配していたのかと思いきや、天皇という存在も、9世紀の会津には届いていたらしい。この神社が作られた811年は、三十八年戦争とも呼ばれる蝦夷征討が終わった年だ。

そんな、戦火の中、若松には養蚕に関する神社が出来ていた。なんとも平和だ。

一説には、これらの神社は、養蚕のために祀られたものではなく、養蚕という産業を興すために祀られた神社であるともいう。らしい。
http://www.genbu.net/data/mutu/kogaikuni_title.htm

参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9A%95%E9%A4%8A%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE
http://www.aizue.net/index.html
http://www13.plala.or.jp/kogaikunijinja/

0 件のコメント:

コメントを投稿