2014年2月1日土曜日

日本で5番目にお寺の多い地域の会津

うちの実家は、お寺とけんかして神道になったらしい。うちは分家で、本家が神道にした感じだけど、もしかしたらうちの家業を起こした曾祖父の代からそうなったのかも知れないし、詳しくは分からない。

ただ、私には、新宮熊野神社の付近の血が入っている。そこには最盛期には100人以上の神官がいたらしい。

一方で、540年に中国の高僧、青岩が高寺(後の恵隆寺)を起こし、数千人の僧侶がいたという坂下町の血も入っている。そして、スピリチュアルカウンセラーや占い師には、仏様に守られていると言われる。

だから、あんまり危ない目にはあった事がないし、大病もせず、傍目には、東京で気ままに、恵まれた人生に見えるのかもしれない生き方をしている。でも、本人は、スピリチュアルや占いにすがりつかないと生きていけないほど、毎日絶望して生きている。

占い師やスピリチュアルカウンセラーに、家の呪縛ということを指摘されて、自分でもそれを意識して生きていて、でも、ルーツは農家の実家に、なにがそんなに呪縛があるのだろうと、会津の歴史を調べると、びっくりするほどスピリチュアルな地域であるようだ。

戊辰戦争とか、会津藩とか、武士は、私にはほとんど関係がなさそうだけど、それ以前の会津という地域の謎や由来のというものが、呪縛なんだろうか。

恵隆寺の立木観音は、立木のまま彫刻された木像としては日本最大級らしい。約8.5mの高さだ。

それだけでなく、2m近い眷属の木像30体も揃っており、密教様式を忠実に再現されているらしい。こういう物があるのは京都の三十三間堂と立木観音のある立木観音堂だけらしい。

坂下町の隣村の湯川村にある勝常寺は807年に開かれた。創立された当時は七堂伽藍が備わり、多くの附属屋、十二の坊舎、百余ヵ寺の子院を有する一大寺院があったらしい。

勝常寺には30余体の仏像があり、うち12体は平安時代初期のもので、おそらく創建時に造立されたものと思われるそうだ。薬師如来坐像、月光菩薩立像、日光菩薩立像は国宝に指定されている。

平安時代以前の仏像が一寺院にこれだけ多数残っているのは畿内の寺院を除けば非常にまれだという。そのことからも、仏教が栄えた地であることは事実のようだ。

お寺も多いし、古墳も多い。540年に中国の高僧、青岩が高寺(後の恵隆寺)を起こしたと言われる坂下町には、亀ヶ森・鎮守森古墳がある。

亀ヶ森古墳は宮城県名取市の雷神山古墳に次ぐ第2位の規模の古墳らしい。古墳時代前期を通じて古墳が継続的に築造された地域は、大和などの中枢を除けば列島内を見渡してもほとんどないとのこと。

坂下町だけでなく、会津若松市にも古墳は多いようで、4世紀末の築造とされる大塚山古墳からは日本製の三角縁神獣鏡をはじめ多くの遺物が検出されたそうだ。さらに若松では4世紀前半頃には全長84mの堂ヶ作山古墳、全長65mの前方後円墳である飯盛山古項が作られている。

塩川町には常世竹花古墳がある。塩川町には土器、土偶、石器は多量に出土するらしい常世原遺跡や、現在確認されている古墳時代の豪族 (首長)居館関連遺跡の中でも国内最大級の規模を持つ古屋敷遺跡もある。

古墳はお墓なので、死というものに対する会津の人たちの考え方は、仏教が入る前から、独特の物があったのかもしれない。


参考
http://nakata.net/rnp/area/9258/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E5%B8%B8%E5%AF%BA
http://www.vill.yugawa.fukushima.jp/kyouikuiinkai/historic.html

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