2014年2月2日日曜日

常光寺

会津若松にあるお寺。慶雲3(706)年、律宗の寺として草創。元和9(1623)年、天海大僧正により天台宗へ改宗。総本山は比叡山延暦寺。

寛政3(1791)年には、劇場人形座が建設され、盆踊り、見世物小屋、相撲、サーカスなど大勢の人で賑わったのこと。

1791年はフランス革命がおこった年で、日本では、江戸幕府将軍は第11代、徳川家斉の時代。江戸幕府は1867年までとのことで、江戸時代の会津はサーカスまでみれたとは驚きだ。

今まで調べた中で、会津のお寺といえば807年が注目の年で、沢山大きなお寺が出来た時期だということが分かった。美里町の慧日寺や湯川村の勝常寺が徳一大師によって、五峰山慈眼寺(後に示現寺)が空海によってたてられた。

常光寺は、それより100年早い。しかし、当時どういうお寺だったのか、ネットで調べても、心温まるエピソード位しか出てこない。

京都の茶問屋の父が、出奔した長男を探そうと日本中を巡り、ここ会津の常光寺で出されたお茶が家伝のお茶と同じ香りと味だったので、そのお茶を入れた修行僧が長男だとわかったというもの。
http://www.aizukanko.com/model/351/

706年のエピソードはどうしたということで、律宗を調べた。律宗(りっしゅう)は、戒律の研究と実践を行う仏教の一宗派だそう。中国では、日本と異なり、正式な僧となるには戒律を修めなければならなかったらしい。

会津には奈良、京都よりはやく仏教が入ってきた説があることを、立木観音(恵隆寺)を調べたときに知った。仏教が伝来したのは552年説と538年説があるようで、538年説が有力なようだが、540年には坂下町に中国、梁の高僧である青岩がいて、庵を結んだというもの。

605年、もしくは652年に中国渡来の僧である知道と修験道の開祖である小角が飯豊山神社を開いた事からも、常光寺が出来た706年より前に既に、会津には中国人の僧が来ていたという可能性が伺える。

そして、律宗の寺である常光寺が706年にできた事が、中国と会津の結びつきというか、奈良、京都を通さない仏教のあり方の可能性の出現という感じがした。

ウィキペディアには、天平勝宝5年(753年)、鑑真が6度の航海の末に、唐から招来し、東大寺に戒壇を開き、聖武上皇、称徳天皇を初めとする人々に日本で初めて戒律を授けた。と書いてある。

律宗の総本山である唐招提寺は天平宝字3年(759年)に奈良市に鑑真が建立したとあるから、それより50年前に会津に律宗の寺があったことになる。

もし、そういう、奈良、京都を通さない仏教の発展が会津にあったとしたら、ロマンがある。


参考
http://www.aizue.net/index.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8B%E5%AE%97
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E6%8B%9B%E6%8F%90%E5%AF%BA

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