2014年2月1日土曜日

常世竹花古墳

縄文時代の「常世式」土器の常世原田遺跡があるのと同じ塩川町に常世竹花古墳がある。

未調査で、築造時代・墳形等は後世の破壊があるので詳細は不明らしい。

とはいえ、常世竹花古墳の辺りは中世城館跡とされているらしい。中世は、古墳時代よりは跡の時代だ。縄文時代から栄えていたこの地が中世も引き続き栄えていたということだろうか。

(神話に「少名毘古那」という神が常世国から来て葦原の名つ国を造ったとある)名の通り由緒ある古墳かも?と、こちらのサイトからの引用。
http://www.k3.dion.ne.jp/~skill/page010.html

少名毘古那は日本神話の神様だ。「古事記」では神皇産霊神(かみむすびのかみ)の子とされ、「日本書紀」では高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の子とされる。

日本神話の神様が東北の縄文人だったとなれば、歴史の学会の偉い人は、とんでもないといいそうだ。

ウィキペディアのスクナビコナ(少名毘古那)の項目にも常世という言葉が出てくる。悪童的な性格を有していたそうだが、なんとなく、地元の人間として、それは分かる気がする。なんとなくでしかないけど。まあでも、海から来訪したという事らしく、会津には海はない。

あるとしたら、塩川町の日橋(にっぱし)川から阿賀野川に合流して、新潟から海に出たとか、まあ、不可能ではない。川で海に繋がっているし、昔から会津は新潟との交流は盛んだったようだ。

この前テレビで、日本という名前はもともと東北の国の名前だったとやっていたけど、にっぱし、にっぽん、そういう発音が東北にはあったのかもしれないと思うと、ロマンが広がる。


発音つながりで、スクナヒコ(少名彦、少名彦名、少名毘古、などの表記がある)すくなひにはアイヌ語方面と関わりがあるらしい。

塩川町の隣の猪苗代町の磐椅神社も、猪苗代の地名の語源であるアイヌ語からアイヌの人々の祈りの場所であったという見方もあるようだ。

古事記ではスクナヒコは「天羅摩船に乗って鵞の皮を内剥に剥いだ着物を着て」やってきたそうだ。海から来たといっても、毛皮の着物は山の人と言ったら強引だろうか。


参考
http://www.k3.dion.ne.jp/~skill/page010.html
http://www.asahi-net.or.jp/~fx3j-aid/kofun/tohoku/fukusima/40_sokw/sonota.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%93%E3%82%B3%E3%83%8A
http://www.dai3gen.net/sukunahikona.htm
http://homepage2.nifty.com/aizune/iwahashi-jinja.html

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