耶麻郡西会津町に大同2年(807)に、会津の西方浄土として徳一大師が建立した。
鳥追観音堂は、日本で唯一の東西向拝口、三方開きという珍しいお堂である。会津ころり三観音の一、会津三十三観音番外別格の結願所。
大同2年(807)、徳一大師、というキーワードは、今まで何度も出てきた。
同年に徳一大師は磐梯町に慧日寺を建てている。この寺は後に会津仏教文化の発祥の地と言われ、最盛期には、寺僧300、僧兵6,000、子院3,800を数え、18万石が与えられていたと伝えられているそうだ。
さらに、湯川村には勝常寺を建てており、こちらは大本山クラスの大寺院である七堂伽藍が備わり、盛時には多くの附属建物が建ち並んで十二の坊舎と百余カ寺の子院を有する一大寺院であったとされる。
720年から栄えた法用寺が火災で焼失したのも807年で、翌年に法用寺を再建したのも徳一大師と言われる。
こちらは空海(弘法大師)が建立したと言われるが、熱塩加納村に示現寺が建ったのも807年。
と、どうやら、如法寺の鳥追観音はもともとは天平八年(736年)の春、行基菩薩が会津巡錫した際に、農夫に念持仏である一寸八分(約6㎝)の聖観音の御尊像をお授けたのが始まりのようだ。
行基は東大寺の「四聖」の一人に数えられ、日本で最初に大僧正になった人だ。奈良の東大寺などの大仏建立の実質上の最高責任者だったらしい。
行基は天平元年(729年)には、会津若松市の東山温泉に羽黒山湯上神社を当時は羽黒山東光寺として開山している。
参考
http://www.aizu-misato.jp/tt/index.php?paged=2
http://www.torioi.com/
http://www.aizu-reichi.gr.jp/torioi/
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