2014年2月2日日曜日

羽黒山湯上神社

若松の東山温泉にある。天平元年(729年)僧行基によって羽黒山東光寺として開山され、会津地方で最も古くから賑わった寺社のひとつ。

祭神は倉稲魂神。修験の中心地で、神社と寺とが混在した神仏混淆であったが、今では神社だけとなった。

行基は東山温泉と芦ノ牧温泉を発見したとも言われる。行基は天智天皇7年(668)年から天平21年(749)年まで生きた、日本の奈良時代の高僧だ。偶然にも今日2月2日は命日だが、これは旧暦のようで、新暦だと2月23日が命日となるらしい。生まれたのは677年という説もある。

東大寺の「四聖」の一人に数えられ、日本で最初に大僧正になった人のようだ。奈良の東大寺などの大仏建立の実質上の最高責任者だったらしい。

ウィキペディアによると740年から大仏建立に協力していたらしい。

正しい歴史では、会津に行基がいたとは認められないかもしれない。

しかし、会津では他にも高僧が活動していたようで、720年には徳道上人が美里町に法用寺を創建している。

徳道上人は日光を開いたとも言われる僧だが、調べると、西国三十三所巡礼にたどりつく。会津にも会津三十三観音巡りがある。美里町の法用寺の雀林観音(十一面観音菩薩)は会津三十三観音29番だ。

徳道上人は長谷寺を開いたと言われる人物で、長谷寺は奈良県桜井市初瀬にある真言宗豊山派総本山の寺だ。長谷寺の本尊は十一面観音像ということで、これは会津の法用寺の雀林観音が十一面観音菩薩ということと一致する。

長谷寺はもともと東大寺(華厳宗)の末寺であり、会津に羽黒山湯上神社を開いたとされる行基も東大寺の「四聖」の一人に数えられる僧ということで、東大寺に縁のある僧だ。

時代が少し進んだ807年には奈良東大寺の法相宗の高僧である徳一大師が会津の磐梯町に慧日寺を開いている。慧日寺は開基が明らかな寺院であるから、東大寺の僧が会津とつながりを持っていたのは事実と言える。

中国の梁の高僧、青岩に540年、後の高寺となる高山無山寺を結び、 634年に恵隆が高寺に堂塔伽藍を建立、辺地域を支配するほどの一大伽藍や36坊もの堂宇を擁していたとすれば、奈良の高僧を迎える土壌は会津にはあったのかもしれない。

元の高寺、今の恵隆寺のご本尊も十一面千手観音菩薩であり、会津三十三観音31番となっている。

参考
http://www.walkerplus.com/spot/ar0207s30296/
http://www.aizue.net/index.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E5%9F%BA
http://www.aizue.net/wakamatusi/tera-higasiyama.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%B5%E9%9A%86%E5%AF%BA

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