立木観音を調べていると、会津の人の、観光のなんていうか、資源を活かす事の下手さにため息が出てくる。地元だから、頑張って欲しい。
せっかく去年会津が注目されたのに、立木観音がすごいなんて、だれも知らない。私は、子供のころ遠足かなにかで行ったかもしれないけど、印象にない。
子供は仏像なんか興味がないから、派手に観光地化でもされてなければ印象に残らないし、だから、私が会津の観光地でどこがいいか聞かれても、立木観音なんて出てこない。
本尊の身丈は8m50cmあるらしい。弘法大師(空海)が観音菩薩の霊感を受け、根が付いた状態(立ち木)で巨木の枝を切り、彫刻したと言い伝えられるらしい。
それだけでもすごいけど、本尊の左右に安置される脇侍の二十八部衆、風神・雷神30体の仏像は、身の丈2m弱の大きさで、すべて揃っており、密教様式を忠実に表現しており、30体の眷属が揃っているのは京都三十間堂とこの立木観音堂だけとも言われるらしい。
それで、なんでそんなものが会津にあるのか、坂下にあるのかだ。
立木観音がある恵隆寺は、欽明天皇元(540)年、中国、梁の高僧である青岩が庵を結び、後に高寺と呼ばれ隆盛を誇るも、慧日寺の興隆により衰退したらしい。
ウィキペディアによると、仏教が伝来したのは552年説と538年説があるようで、538年説が有力なようだが、540年に恵隆寺が出来る前から、青岩というお坊さんが会津にいたとすれば、奈良、京都より先に会津に仏教が伝わった可能性もあるらしく、栄えた時期にはお坊さんが数千人も会津にいたらしい。
この時代より少し前の4世紀から5世紀の坂下では、亀ヶ森・鎮守森古墳という、東北では二番目に大きい古墳が作られていたり、古墳が継続的に作られていたという、日本列島のなかでもほとんどない地域だったようだから、お墓である古墳を作る事と、仏教は、なんだか親和性はありそうだ。
参考
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